5年ぶりの青いベンチ
増田くんが『大阪城ホール』で『青いベンチ』を歌うのは今回のツアーが初めてだったって、増田くんは気づいてた?
『テゴマスのうた』と『テゴマスのあい』は大阪城ホールで開催されたけど、
『テゴマスの青春』は大阪のフェスティバルホールでの開催だったから、大阪城ホールでの公演がなかったなんて、関西に住んでるオタクしか覚えてないかもしれないけど。
20周年のアルバムでメンバーセレクト楽曲のうち、小山くんがチラリズムを選んでアルバムに入った時点で、もしかしたらツアーで久しぶりにコヤシゲ2人で歌うのかなーとなんとなく想像してはいたけど、
まさかその後に増田くんが出てきて青いベンチの前奏はじまるなんて思ってないじゃん。
私のツアー初日は大阪公演だったんだけど、あの前奏聞くだけでひとことでは表現できないぐらい感情めちゃくちゃになって、とりあえずビックリして泣いちゃった(笑)
最後にテゴマスが2人で歌っている姿を見たのは、15周年ライブで青いベンチを歌ってくれた時だったな…とか
NEWSのライブのMCで「テゴマス歌ってよー」という話になって、その場でキーを合わせて2人が歌ってくれたのも青いベンチだったな…とか
聞くたびに私は色んな思い出がよみがえってきたのだけれど、増田くんはどうだったのかな。
この歌を歌ったことに関して、何も言及はしないけど歌っている姿で私たちに想いを伝えてくれるのってさ、
『テゴマスのまほう』の時にメンバーの脱退や今後の活動については一切触れずにセンターステージで2人向き合って「さくらガール」を歌ってくれたあの時と一緒だね。
久しぶりの声出し解禁でみんなでNEWSTORYを歌う時、ファンのみんながタイミングやキーを合わせられるように増田くんが歌い出しだけリードして一緒に歌ってくれた姿をみて、
テゴマスのコンサートでみんなでキッスのサビを歌う時、いつも下メロを歌ってくれていた増田くんを思い出してちょっとだけ泣きそうになっていたんだけど
青いベンチを歌う増田くんの姿をみて、私が大好きな増田くんはずっとそこにいてくれてるんだなあって改めて実感したよ。
今は「小山とシゲとずっと一緒に歌っていたい」と言ってくれる増田くんのことが大好きだし、
増田くんのそばに小山くんとシゲがいてくれてよかったと心から思うのだけど
増田くんの隣で青いベンチを歌っていた彼のことは、やっぱりいつまで経っても特別な存在だったことには変わりなくて。
きっとそれはあの時彼らの姿を追いかけていたファン全員がそう思ってるよね。(定期的にテゴマスってワードがトレンド入りしてるの見るもんね。傷がえぐられる思いしながら見に行っちゃうもんね。笑)
もう2人で歌うことはないのかもしれないけれど、だからと言ってその時のことを無かった事にはしないで、
過去のこととしてこうやって青いベンチをひとりで歌ってくれる姿や
笑い交じりにMCで「STORYのドーム公演がなくなったのって手越のせいじゃなかったっけ」と名前を出して言う増田くんの姿を見て、
私たちが大切にしている思い出はそのまま、ずっと大切にしていていいんだなって言ってもらえたような気がしたよ。
今はまだテゴマスの曲を聞くことが出来ないけど、きっといつか聞ける日が来るんだろうって今は思えるようになったよ。
増田くんがどう思っているかは分からないけど、もしまた歌いたいと思ってくれるなら、これからもたまにテゴマスの曲も聞かせてくれたら嬉しいなとも思えるようになったよ。
今回のツアー中に事務所が廃業に向かう事や、エージェント契約になる事などが発表になって、
複雑な気持ちのままステージに向かってくれていた時も少なくなかったよね。
(ツアーの途中でファンだけに向けて話してくれた言葉でネットで理不尽に叩かれてしまうような事も起きて本当にごめんね。あのMCを現地で聞いてたから、そんな意図がないことも、あの会場の中で増田くんの言葉に対して嫌な気持ちになった人がいないであろうことも分かっていたのにあんな事が起きて本当につらかった)
そんな時もステージに立って、私たちに素敵な曲をたくさん聞かせてくれてありがとう。これからもNEWSとNEWSの曲を守ってくれると言ってくれて、ありがとう。
増田くんが守ってくれているから、今回のように青いベンチが聞ける未来があったんだよね。ありがとう。
どんな未来が待っているか分からないけど、これからも増田くんが選んだ道が最善だったと思ってもらえるように、ずっと変わらず応援していきたいなと思ってるよ。
だからこれからも増田くんは増田くんの歩きたい道を歩んでね。
増田くんは今、かつての相方のことをどう思っているのかな。
いろんなことがあったけど、やっぱり私は憎めなくて、増田くんの横にいた彼のことが今もまだずっと大好きで、
変わりゆく未来の中で、ずーっと先の未来で、いつかまた2人の道が交わる日があればいいのに…ってついつい思ってしまう日も少なくないよ。
どんな未来が待っていても、増田くんと増田くんのファンのみんなでずっと笑顔でいられたらいいな。
大好きなあなたへ
2023年5月
メトロック東京の1番大きいステージのセンターで「ジャニーズ事務所から来ました!」と言った彼のこと、絶対に忘れない。
2018年の夏
主演舞台のグッズで「ジャニーズ」の名前が刻まれたバングルを作った彼の愛、絶対に忘れない。
今までたくさん聞かせてくれた事務所への愛、こだわり、夢…全部全部忘れない。
色んな側面からの色んな事が明るみに出て、事実や、事実でない悪意をもって誰かに作られた情報もあると思う。
でも、彼にとって「ジャニーズ」という事務所が大切で、
その事務所でやっていくことにこだわりがあって、
その事務所のタレントとして私たちの前に立ってくれていた事も紛れもない事実で。
その事務所での彼のことを評価して色んなお仕事の経験をさせてくれて、彼の仲間を作ってくれた、
初代の社長が彼にとって恩人であり、大きな存在であったこともまた、紛れもない事実で。
「死ぬまでジャニーズでやっていくつもりだったけど、守れなかった」なんて
こんな形で彼の決意を聞くことになるなんて思わなくて、いまどんな気持ちでこれを文章にして届けてくれてるんだろう…とか、
今までの人生で、私は辛い時たくさんたくさん彼の歌や存在に助けられて来たのに、
どうして自分は何も出来ないんだろうって思って悲しくなってしまった。
日々色んな報道がある中で、私がジャニーズ事務所に所属している増田くんのファンだということを知っている人から
「まっすーがジャニーさんにやられてたらどーすんの?笑」って何度も言われたよ。
びっくりしたけど、これが今の日本人の性被害に対する意識なんだなって思った。
ファンの私ですらそんな事言われるんだから、本人にはもっともっと酷い言葉が届いているのかもしれないって思うと悲しかったし、辛かった。
でもそんな時もずっと笑顔で、楽しいエンターテインメントを届けてくれて、本当にありがとう。
この先増田くんがどんな決断をしても、
絶対にそれを応援するって決めてたけど、「NEWSを守る」って言ってくれてありがとう。
増田くんがするジャニーさんのモノマネ、大好きだったよ。
あの喋り方が本人に似てると言われているのを聞いて、「ジャニーさんも普通のおじいちゃんなんだな」って知ったよ。
「YouとYouとお前」って言われた話、何度目だよって思ってたけど
Kinkiの2人がめちゃくちゃ面白がってくれて、また最近テレビで話してくれるようになって、もう一生この話聞き続けたいなって思ってたよ。
事務所は廃業に向かっても、11月8日は増田くんがオーディションを受けてアイドルになった日ってことでこれからもお祝いしていいのかな。
同じ会社じゃなくなっても、増田くんと同じ日にオーディションを受けた5人はこれからも増田くんの同期で、増田くんの戦友だよね?
ジャニーズって場所にこだわりがあって、絶対にここでやっていくって決めてて、メンバーやまわりのスタッフさんだけじゃなくて
先輩や後輩のこともすごく大切にしていたこと、私たちファンもよく分かっていたはずなのに、一緒に守ることが出来なくてごめんね。
増田くんの愛した場所がなくなってしまう事、すごくすごく寂しいよ。
私がこんなに寂しいんだから、増田くんはもっと寂しいしもっとつらいよね。
でもそんな時も「NEWSを守る」って言ってくれて、私たちを安心させてくれてありがとう。
この先がどんな道でも、増田くんがどんな決断をしても、
増田くんが、NEWSのメンバーがどんなおじいちゃんになっても、
ずっとずっと大好きだし、ずっとずっと応援するし、ずっとずっと着いていくよ。
だから増田くんは、増田くんの進みたい道を選んでね。
「優しい君が探してた場所が 僕らの愛したここだといいが」
増田くんの作ってくれたこの歌詞、何度もこの言葉に救われてきたよ。
私もいま、増田くんに対して同じことを思うよ。
増田くんが今探している場所が、きっと私たちの愛する場所だよ。
増田くんが見つけた場所なら、どんなところだって愛すよ。
20回目の9月15日
今から10年前、2012年9月15日は、美しい恋ツアーの広島公演だったなとふと思い出した。
まだ世の中の人は半分ガラケー・半分がスマホを利用しているぐらいの時期で、
SNSの普及も進んではいたけど、今ほどじゃなかったころ。
「広島公演の日はNEWSの結成日だからMCがはじまったらHappy birthdayを歌いましょう」っていうあるファンのインターネット上の声がきっかけで、当日までにおたくの間でその内容が拡散される事になって。
(いま思うと、そんなに拡散されまくっていたのに本人たちの目には入らなかった平和な時代でもあったんだな…笑)
公演当日、バスで広島に向かっていたんだけど、渋滞で大幅に遅れてしまって、会場についた頃には5曲目ぐらいになっていてものすごく悲しかった記憶が鮮明にある(笑)
※ちなみに、この出来事をきっかけに私は昼バスを信用しなくなる(笑)
結成日・インディーズデビュー日・メジャーデビュー日と、たくさん記念日があり、いまいちいつを記念日とするか定かでなく、
この時の9月15日も、記念日だから公演があった訳でなく、たまたまこの日になっただけだったから、NEWSちゃん本人たちには特別記念日感がなく、いつも通りだった印象もある。
でも、10年前のあの日、MCがはじまった時に会場全員でHappy birthdayを歌ってお祝いした瞬間に、【NEWSの記念日は9月15日】になったんだよね。
「いつ打ち合わせしたの?」「もう1回歌って?」とびっくりしながら喜んでくれた4人の姿と、その時からずっと9月15日を大切にして来てくれたNEWSの事、ずっと忘れないしずっと大好きだよ。
10年前に私が広島に行ったのも、地元の神戸公演は野外だったから、近くの地方のどこかのアリーナ会場でも公演が見たいっていう単純な理由からでした。
確か美しい恋の時はもともと各会場1公演ずつ、会場の場所も日程もめちゃくちゃ少なくて、名古屋公演がなかったから、はじめて広島に行ってみるか…みたいな感じで軽い気持ちで広島行きを決めた記憶もある。
(まあなんせ東京ドームでコンサート出来ないと言われて、増田くんの機嫌が悪かった時期ですからね…笑。公演数も少ないわな…笑)
翌年2013年、大人の事情なのか10周年のコンサートは記念日当日には叶わず、記念日より1週間前の公演になってしまったけど、
ツアー中に4人で記念の曲を作って、公演当日に初披露してくれたこと。
その曲を1週間後の記念日当日に配信してくれたこと。
今は公式YouTubeも解禁されているし、FC動画も各グループいろんなコーナーを設けてやっているけど、
10年前、コンサートの映像を配信で流すなんてめちゃくちゃ斬新な試みだったよね。
記念日当日の24時間限定での公開だったけど、みんなで記念日をお祝いしようとしてくれるその気持ちがすごくうれしくて「本当に愛されてるなあ」と実感したの覚えてるよ。
あと、10周年コンサートの会場で4人で撮った写真を期間限定でジャニショで販売してくれたりもしたよね。
今はなき心斎橋のジャニショまで買いに行ったなあ…。
そして5年後、2018年。
10年目突入の日に広島でファン発信でお祝いして、10年目の記念日にNEWSとファンでささやかなお祝いをしていた頃から時間が経ち、
記念日より少し前の8月に味の素スタジアム2デイズ、お祝いの公演をしてくれる事になって。
公演をするという発表から公演当日までに色んな事があり、「もうこの公演でおたく辞めた方がいいのかも」と思って、あの日東京行きの新幹線に乗った事を今でも覚えてる。
複雑な気持ちを抱えたまま迎えた当日、きっとあの時誰よりも大変だったであろう増田くんの「ずっと考えてた事がある」というちょっとドキッとする言葉とともに、
10周年ツアーの後のツアー WHITE・QUARTET・NEVER LAND・EPCOTIAのピンク・黄色・緑・紫の衣装をそれぞれ着た4人が出てきた時、増田くんのNEWSに対する愛情にめちゃくちゃ感動して、涙止まらなくて、まだまだこの先も増田くんが愛している景色を見たいし、私も増田くんの愛してる景色の一部でありたいって思った事、
2デイズあって、この演出の時2日目も1日目と同じぐらいの熱量で1人で泣いてた事(笑)、多分この先も忘れないと思う。
(ずっと大切にしてきたメンバーカラー変えたいとかの話だったら嫌だな…と思ったら全く逆で、私たちよりもむしろ増田くんのほうが大事にしてくれてるんだもん。泣いちゃうし、その愛情の深さに笑っちゃうよね。)
あれから4年。
世の中的にもNEWSちゃん達的にも色んな事があったけど、「3人のNEWSが作る3人のツアー」の幕が無事に開き。
最初は予定してなかったけど、9月16日と17日に公演があるなら9月15日も公演したいと3人がお願いしてくれて、記念日当日に開催される事になった公演を見るために、久しぶりの名古屋へ向かいます。
この先どうなるか分からない、4人になったNEWSがどこへ向かうのか分からない、
最後の挨拶で「Pも亮ちゃんも内も草野も森内も」と自分に言い聞かせるように小山くんが言った、あの日から10年。
「なんか知らないけど歌のパート増えたわー」とか「今NEWSニッポン聞いてみて欲しいわー」とか笑いながら言えるようになった3人のこと、
そして、この場所を、NEWSの歌を、守ってくれた増田くんのこと。
ずっと好きでいられて、本当に幸せだなと思ってます。
去年のツアーは色々複雑な気持ちになって、久しぶりの現場だったし、私自身にも色々あったしでめちゃくちゃ泣いちゃったんだけど、
今年のツアーは本当にずっと「楽しい」の気持ちで見てるよ!
どんどんアップデートしてくれるNEWSちゃん、すごいよ!・・・てか若いよね!めっちゃ元気だよね!笑
増田くんの愛情とか、思いが感じられて、特に大好きな瞬間がこのツアー中に2か所あるの。
それだけはもしかしたら、記念日当日に見たら泣いちゃうかもな…。
ツアーが終わったら、もしくは後半に突入したら、またそのあたりのお話もゆっくりしたいなと思います。
美しい恋から10年、19年目の9月15日も変わらず記念日をお祝いする事が出来て本当に幸せです。
20周年、何が待ってるのか楽しみだな(*^^*)
最高の夏をありがとう
人生で一番辛かった10代前半の時、唯一の支えが増田くんだった時期がありました。
「CDの発売日に学校に行きたいから、それまで少しずつ頑張ってみよう」
「来月のコンサートに行きたいから、それまでは絶対頑張って生きよう」
冗談抜きで、もう死んじゃいたいと思ってた時にも「もう少し増田くんの事を応援したい」って気持ちだけで乗り越えられた事がたくさんあった。
大人になってからも辛い事はたくさんあったけど、
相変わらず増田くんを応援して、増田くんが夢を叶える姿を見て「増田くんのファンになれてよかったな。幸せだな」と思えたら、なんとか頑張れる事がほとんどでした。
コロナ禍でコンサートが全公演中止になってしまって、しんどい事が消化出来なくなって体調を崩してしまった時はあったけど、
その時もテレビで増田くんの元気な姿を見て、
そして何より増田くん以外に支えてくれる人と一緒にいた事で、それもなんとか乗り越えていけました。
その時期を支えてもらった事で、彼に何かあれば私が支えてあげたいと思ったし、
結婚するならこの人だとずっと思ってたし、
27歳で子供産みたいという漠然とした目標というか夢があって、そのためにはとりあえず26歳までには結婚したいなという意思も伝えていた中で、
昨年末ぐらいから彼との事で色々あり、ずっと夢だった「26歳での結婚」が叶わない事になってしまいました。
学生時代からずっとジャニヲタで、増田くんが好きで、
高校生になったら絶対バイトしてもっともっとコンサートに行きたいから、バイト出来る高校がいい
学生のバイト以上にお金稼いでもっとコンサートに行きたいから、大学に行かずに働きたい
フリーターだと休みは取りやすいけど収入安定しないし、土日休みの方がコンサートに行きやすいから会社員になりたい
みたいな理由で自分の人生を決めてきて、特になりたい職業とかやりたい事とかもなかった私の昔からの唯一の夢が「結婚して子供産むこと」でした。
特に近年は、小さい頃からずっと可愛がってもらっていたおばあちゃんが元気なうちに、子供産んでおばあちゃんに見て欲しいとか、
そのために転職する時に、仕事のやりがいとか、やってみたい仕事よりも結婚したり出産しても働きやすい職場を優先して選んだり、
コロナ禍って事もあったけど、コンサートに行く回数もびっくりするぐらい減って(なんと去年のNEWSのツアーは大阪2公演、福井1公演の計3公演だけだった…!)
ずっと増田くんのファンではあるけど、増田くんの夢ではなく自分の夢のために色々と考えたり、人生のシフトチェンジをしていっていて。
そんな中で夢が叶わないってなった時の悲しさは、中学生の時ほどじゃないけど、
でも人生で辛かった事ランキングの中の上位5位ぐらいには入るんじゃないかなってぐらい辛くて。
何も出来なくてぼーっとしながら泣いちゃう…なんてNEWSが4人になった時にしかなった事なかったよ…笑
とりあえず自分の夢を諦めたくないと思ってマッチングアプリを始めたりして、でも全然イケメンいないじゃん…と長年ジャニヲタやっているが故の弊害もあり(笑)、
この先の人生どうしていこうか…と思う日々の中、妹の付き添いで行ったジャニーズWESTのコンサートで、重岡くんが熱い思いをぶつけて歌う姿に出会いました。
コロナ前も同じように付き添いでコンサートに行ったり、仕事辞めてた時期にライブDVDまとめ買いしてみたりと
それまでもWESTの事はなんとなく見てたけど、
ダブトラと二大ドームコンサート、rainboW大阪公演が中止になってしまったから、3年ぶり?のWESTのコンサートでした。
※配信ライブは全部ちゃんと見てたよ~笑
3年前のコンサートにはなかったバンドコーナーで、
それまでステージの上でふざけてたり、客席見てニコニコ踊ってた姿から急にアーティストの顔になって歌う重岡くんがとにかくめちゃくちゃかっこよくて、引き込まれてしまって。
この気持ちを言葉で説明するのはすごく難しいんだけど、とにかくもっとこの人の事を見たい!この人の事を知りたい!もっともっと歌ってる姿を見たい!って思った。
まあ、何かの沼にハマる時も、誰かを好きになる時も、この気持ちだけで充分だよね(笑)
毎年NEWSとツアー時期が一緒で、なんなら日程も被っている事が多かったWESTのツアーだけど、
今年はNEWSが秋ツアーになった事&秋ツアーになるよと事前告知してくれてた事で、行動しやすかった事
さすが関西出身のグループだけあって、大阪でのライブ回数がめちゃくちゃ多いから、遠征なしで行ける公演多い=気軽に行きやすい事
そして何より、メトロックに出演が決まり、
しかも大阪での公演に出演だから、これまた気軽に行けた事
色んな偶然と、遠征じゃなければとりあえず行ってみよというジャニヲタの行動力も伴ってしまい、
気付いたらどっぷり沼の中にいました・・・(笑)
(メトロック気軽に行って激ハマりして、翌月には横浜まで遠征してLOVE MUSIC FES見に行ってるからおたくの行動力ってこわい・・・)
本人たちは本当に大変だったと思うけど、
アリーナツアー・メトロック・LOVE MUSIC FES・ドームツアー
とめちゃくちゃライブが続いたおかげで、私もずっと楽しみが続いていて、ずっと忙しくて、
「婚活してる場合じゃないな…訳分からん男に使ってる時間もったいないし、アプリの人と飲みに行ったりして体調崩してライブ行けなかったら絶対に嫌だからとりあえず今はやめよ」
と思っていたら5ヶ月経ってたし(笑)、重岡くんは相変わらずかっこいいし、
結婚に対する焦りもなくなったら、アプリで出会うよりも、もう少し今の彼を大切にしてみようと思えるようになってた。
彼と一緒にいるって事は、結婚したり子供産んだりするのはまだまだ先になってしまうって事で、
つまりずっと夢だった「27歳で子供産みたい」は恐らく叶わなくなってしまったんだけど。
バンドコーナーとかフェスの時の僕らの理由でさ、重岡くんに「1回くらい挫折をしたってさ 一生が失敗な訳ないだろ」と、その後に「そうだろ」とか「(客席にいた子供に向かって)まだ分かんねえかあ」って言われたら、
確かに別に一生結婚出来なくなった訳じゃないしな…と思って少しずつ元気になれたよ。
というかあそこで少年漫画の主人公みたいなセリフ言う重岡くんが本当に好きすぎる・・・。
そして何より、フェス出演とドームでのコンサートという大きな夢を叶える姿を見て、
私の夢が叶わなかったから、重岡くんの夢が叶う瞬間に立ち会えたのかもしれないと思うと、まあこれはこれで良いかって思えるようになったよ。
この辛かった約半年間を支えてくれたのは、重岡くんでした。
ドームツアーでの東京ドームの最終日、「これからも皆が応援したいって思えるジャニーズWESTになるから!頑張るから!」って言う重岡くんを見て、
私の唯一の夢が叶わなくて辛かった時、支えてくれてありがとう って思った。
重岡くんのおかげで、辛いことも乗り越えられたよ。
もう増田くん以外の担当は出来ないと思ってたんだけど、人生何があるか分からないもんですね(笑)
別にこれは担降りブログではなくて、辛い時に重岡くんに出会えてよかったっていう私の気持ちと、アリーナツアーからのメトロックからのLOVE MUSIC FESからのドームツアー、まじで全部最高だったよっていうのを残しておきたかっただけです( ̄▽ ̄)
私の人生でフェスに行く事なんてないと思ってたよ…色んな経験させてくれてありがとう。
WESTは「暑い夏でした!!!ありがとう!!!」ってめちゃくちゃ燃え尽きてたけど、
私は息つく間もなく来月からNEWSのツアー始まるし、
NEWSちゃんの単独カウコンぶりに京セラ行ったら、絶対に絶対にNEWSもまた3人でドームに立とうね!っていう気持ちになってた(笑)
だからもちろんこの先も、増田くんの事もずっとずっと応援したいと思ってますし、やっぱり自分は増田担だなと思ってます。
1年の半分以上、毎月現場が続くなんてこんなに幸せな事ないよな・・・
そしてこの歳になってこんなに現場行きまくるとは思ってもなかったよな・・・(笑)
とりあえずこれからも体調に気を付けて、元気にジャニヲタしていきます!
何のお知らせもなく急にTwitterにWESTのレポとかつぶやきまくってたから、もしかしたらたまに私のつぶやき見てくれてるフォロワーさんがいたら戸惑ってるかな…と密かに思ってました(笑)
これからも引き続き、増田くんだけじゃなくて重岡くんの事もつぶやくと思うので、よろしくお願いします!
ちなみに、プライベートな事なので詳細はブログに伏せましたけど、
目標の年齢で結婚出来なくなったのは別に深刻な事とかではないし、
(まあ一度は別れ話にまでなったけど・・・)
お互いの家族に反対を受けてるとか、そういうのでも全くないです(*^^*)
今は毎週リア突見せて彼にもWESTの布教したり、普通に仲良くやってますのでご心配なく(*^^*)
2人組のこと
STORYの映像も発売になり、これで本当に4部作が終わったのだなと思うと、急にNEWSの曲が聞けるようになりました。
というのも、以前のブログにも書いたけど、色々あって体調を崩してしまい会社を辞めてから、移動中や通勤中に音楽を聞く習慣が無くなってしまって、再就職して1年以上経った今もカバンの中にイヤホンすら入ってないような状態で毎日を過ごしてて。
NEWSの曲には1曲ずつ本当に色々思い出も思い入れもありすぎて、あの時の4人が大好きだったなって事とか、あの時すごくしんどかったけど増田くんの歌声にたくさん助けてもらったなとか、あのコンサート楽しかったなとか、思い出すのが辛い事も多くて、
その流れでなんとなく、3人になってからリリースされた曲も全然聞けていなくて。
よく分かんないけど、STORYで本当に4人のNEWSが終わって、同時に3人のNEWSの再出発だと感じたし、
(オーラスの配信も見たはずだけど)映像化して、自分の中で一区切りついたと感じて。
とりあえずリリースされた時にCD買ったきりになってたから、ビューティフルのカップリングにendless summerが入ってた事すらすっかり忘れてて(笑)
(しかもタイトル英語表記になってて、かっこよくなってるし笑)
思いがけず聞いたエンドレスサマーが、やっぱりめっちゃ良くて、いろんな思い出が蘇って、その時聞いてたのは外だったんだけど、家だったら泣いてたんじゃないかなと思った…。
10代の頃の記憶力と、その時の自分の増田くんに対する思いが、今よりも全然強くて。(今の自分も増田くんの事は大好きだし、増田くんなしの人生なんて考えられないけど、あの頃の私には世界の全てが増田くんを中心に回っていたから、やばいぐらい依存してた)
6人の時に収録したエンドレスサマーも、4人の時に改めて収録したエンドレスサマーも、3人になったendless summerも、一番最初に思い出すのは、あの日京セラドームで6人が1人ずつ順番に出てきて歌う演出なんだよね。
4人になって、ベストアルバムのファン投票1位になって、美しい恋でやった演出も素敵だったんだけど、やっぱりあのバラバラだった6人が歌うこの曲が、めっちゃ好きだったんだよね。
人数の変動とともに、6人でやっていた「Aメロ・Bメロ・サビを1人ずつ歌う」っていうパート分けが難しくなり、どんどん変わっていったんだけど、
どんな時もずっと、増田くんが変わらず歌う「小さな冒険 手書きのチケット 夢の欠片かき集めて あこがれという おもちゃの羽で 飛べる気がしてた」の優しい歌声と、
最後に全員で歌う「明日を夢見たキセキは今日もどこかで まだやれるよって君の背中押してくれるから 今の自分が思うような自分じゃなくても 扉はきっと きっと あの夢に繋がっているから」の力強い歌声に、歌詞の通り何度も何度も背中押されてきて。
私の人生なんて、ほとんどが「今の自分が思うような自分じゃない」ような状態だけど、この曲を聞くと、あの日京セラドームで見た、大好きだった6人のNEWSのこと、それこそ夢の中のように思えた、特別に輝いて見えたあの日の映像が、今でも蘇ってきて、「ああ、今日この瞬間も、あの日の続きなんだな。がんばろう」って、思えるんだよね。
そして背中を押されるたびに、「あの時NEWSが解散していたら、もうこの曲は聞けなかったかもしれないな。増田くん、NEWSの曲を守ってくれてありがとう」って思って、余計に泣けてきちゃうんだよね。
NEWSが4人になるか、解散するか、もう解散したほうがいいんじゃないという大人が多かったあの時に「NEWSの曲を守りたいから4人でNEWSをやりたい」と言ってくれた増田くんの事、今でも6人までのNEWSの曲を聞くと、どうしても思い出すのです。
8人よりも、6人よりも、4人で活動した期間が長くなり、メンバーも全員30代を迎え、またメンバーが減るという時、解散しようという選択はなく、ほぼ当たり前のように3人でやっていくという決断になったんだなというのは、3人を見ていて伝わるし、「NEWSの曲を守りたい」という増田くんの気持ちは、きっとあの時から変わっていないのだろうなとは伝わるんだけど、
一方で、どうしてももう聞く事が出来なくなってしまった、あえて増田くんの言葉を借りるならば、「守れなかった」曲がある事を思い出して、悲しくなってしまう事も、あるのです。
ミソスープに振り付けが付いていたけど、踊るのは違うと言って歌で勝負しようと決めた2人のこと。
はじめてのコンサートの初日、メインステージのスモークの中から出てきた22歳と23歳の2人のこと、1曲だけ踊ると言ってトラジハイジの曲を踊った2人のこと。
2回目のコンサート、ずっと2人じゃなくて、ソロのコーナーもあったけど、歌ってないほうは演奏に回って、やっぱりずっと2人でステージ上にいてくれたこと。
3回目のコンサート、この先どうなるか分からない中で、何も語らず2人が歌った、さくらガールのこと。
4回目のコンサート、はじめてのホール公演でマイクなしの演出に感動したこと。
そして4回目のコンサートのオーラス、2月から始まったツアーだけど、終わる頃には4月になっていて、まだ少し肌寒い中、笠寺の駅が混むのが嫌で慌ててガイシホールを後にしてしまったあの日の事を思い出して、
結局あれが最後になってしまうなら、駅が混むとか関係なく、もう少しゆっくり会場にいればよかったなとか、そんなしょーもない事を今さら悔やんでしまうのでした。
NEWSが4人になったことや、3人になったことのように、いつか受け入れられる日が来るのかな。
6人のエンドレスサマーの演出が大好きだったなと、あの頃のキラキラした思い出と一緒に思い出して楽しめるように、いつか2人の曲も聞くことが出来るようになるのかな。
2人の曲は、グループ活動の合間にリリースされていたから、もちろんグループの曲より数は少なくて、その分ほとんどの曲をコンサートで披露してくれていたから、1曲ずつに思い出があって。
コンサートで披露されていない曲は、それはそれでまた、それぞれにめちゃくちゃ思い出があって。(披露されていないDONUTは、ゴスペラーズさんと一緒じゃないと成立しないから、2人のコンサートでは出来ないという話とか)
そんな思い出も全部、いつか悲しまずに思い出せる日がくるのかな。
はじめてファンクラブに入って、自分で申し込んだチケットが、テゴマスのうたの大阪公演でした。
公演を見るのが1度じゃ足りなくて、お母さんに内緒で2日目もこっそり見に行ったのが、テゴマスのあいの大阪公演でした。
コンサートのオーラス公演に行きたくて、はじめて遠征をしたのが、テゴマスのまほうの名古屋公演でした。
ジャニーズのコンサートにしか行った事のない私が、はじめてホールと呼ばれる会場に行って音の凄さを体感したのが、テゴマスの青春の大阪公演でした。
私の青春には、全部全部2人がいるよ。
2人とともに大人になって、2人とともにジャニヲタとしての経験も重ねていった気がするよ。
いろんな事を言う人がいるけれど、どんなに私生活の素行が悪くても、その影響で活動に制限の出る場面があっても、それでもずっとグループで、ずっとユニットでやっていたのは、増田くんが「俺の相方は手越しかいない」と言った、あの言葉に集約されていたんだなと、事実上、解散してから思ったよ。
私は増田担だから、増田サイドの言葉とか思い出ばかり考えてしまうけど、きっと手越くんもそうだったよね。だから、テゴマスでフェスに出たいと事務所に抗議していたんだよね。
2人とも30代になったら「テゴマスの三十路」っていうタイトルのコンサートをしよう、おじいさんになったら「テゴマスのつえ」っていうコンサートをしようって言って笑っていたけど、そうなったら良いなって思ってたし、2人はずっと一緒にやっていくんだと思ってた。
いつか2人にカバーアルバムを出して欲しくて、その時何の曲をカバーして欲しいか考えるのが、私の趣味のひとつだったんだよ。
2人のそんな会話のことも、あの頃私が妄想していたカバーアルバムやセットリストのことも、いつかキラキラした思い出として、2人の曲とともに、笑って話せる日がくるといいな。
2020年の事、これからの事
幾度もの中止、延期を乗り越え、NEWS LINETOUR 2020 STORYの幕が開けました。
自分が「STORY済」の世界にいることが未だに信じられなくて、なんだかずっとふわふわした気持ちでいます。
去年、ツアーの申し込みをして、当落が出た頃ぐらいまでは本当に今までと変わらないごくごく普通の日常で、初日の静岡、翌週の横アリに向けて、新幹線高いなあ〜ホテルも高いなあ〜どれにしようかな〜とかぼんやり思ってたとこまでは記憶あるけど、
静岡、横浜の中止、延期されていた仙台の中止、5月の公演の中止…ぐらいからはもうNEWSに触れる事が悲しくて、あんなにツアーを楽しみに毎日毎日聞いていたアルバムを聞けなくなって、もう1年。
手越くんの活動自粛、脱退があってからはNEWSの映像を見るのが辛くて、録画していた歌番組の編集すら出来ぬまま…笑
行くはずだった静岡のエコパ前で、STORYのパーカー歌うNEWSのこと大好きって思ったはずなのに、あの日あの場所でメンバーに退所を伝えたと言われてから、もう全く見れなくなりました笑
そんな感じでほとんどNEWSに触れずに、毎週ソレダメとゴチだけを楽しみに生きる日々を送っていて、NEWSの曲自体、1年ぶりに聞くような状況で当日を迎えました。
音楽って不思議で、自分が過去につぶやいたツイート見たり、ブログ読み返したりするよりも鮮明に、「その曲を聞いていた当時の自分」を思い出して、この1年の出来事がぶわあって蘇ってきて、多分意味変わんないタイミングでめちゃくちゃ泣いてしまいました笑
ちょっと私の話をします。
そもそも昨年いた職場でのパワハラ&セクハラ上司(飲み会の場で「経験人数何人?」とか「週に何回彼氏としてるん」とか平気で聞いてくる、いま考えるとガチでやばいやつ)のストレスを日々抱えていて、
じわじわ国内にコロナの感染が広がり、同業の取引先や大元のメーカーが、在宅勤務や時短、自宅待機などを導入する中で、そのオッサンだけは「電車は人が混むから同じ方面の社員全員で車通勤しろ」というめちゃくちゃな方向の指示しか出さず(車なんか1番密集空間やんけ…と思ってたけど言えず)、
まじで週5、半日以上職場の人と一緒、拘束される上に、通勤中もめちゃくちゃストレスや命の危機感じる事もあって、車通勤辞めたいって話したらキレられる…エンドレスストレス!!!って感じの日々で…(まじでなんで業務外の事でこんなにストレス抱えなあかんの?と今でも思う)
毎日毎日クローバーの増田くんが書いた歌詞聞いて、増田くんになぐさめされてて、こんなに毎日辛いけど、きっとコンサートに行って増田くんのこの歌を聞いたら元気もらえるからがんばろう!って自分に言い聞かせて、奮い立たせてたんだよね。
そんな中で、相次ぐ公演の中止、それだけに留まらず最終的にはメンバーの脱退まであって、
その上仕事ではパワハラが加速、同僚も仕事出来なさすぎてその負荷が回ってきても、そもそもその同僚が仕事出来んことに気づいてない、みたいな状況で、本当によく毎日あんなとこで働いてたな…あの頃の自分偉いな…って思う笑
大好きな、心の支えにしてたアイドルに会えないだけじゃなくて、そのアイドルのことも辛くて、仕事もどんどん辛くて、最終的には体調を崩して、休職して、そのまま退職に至った訳ですが。
当時は、心療内科に行って「仕事のストレスでしんどい、朝吐き気がする」って言えば誰だってうつ病の診断書ぐらい出るっしょ…これは甘えでしょ…って思ってたけど、元気になった今振り返ると、いやいやあの時は完全に病気だったな〜って思う笑
明らかに体力もなかったしな〜笑
そんなこんなで、休職期間含めて3ヶ月くらいは休職手当もらいながらゆっくりして、
(退職後すぐに転職先の内定もらえて、1ヶ月以上はゆっくり出来たのが本当によかった…)
その間に開催されたハウトゥサクシードも、体力が持つだろうか…と不安になりながらなんとか行って、
(普段ならなんて事ないんだけど、この時はマチネとソワレの2公演を続けて見る体力はなく、ソワレだけ見に行ったりしてた)
私生活でも転職に加え、元々住み着いてた彼氏のひとり暮らしの家を引っ越したり、色々忙しくしているうちにSTORY大阪公演を迎えた、という感じでした。
最後の挨拶でシゲが「メンバーの形は変わってしまったけど、1年前のまま、同じ熱量でやれたと思います」と言っていたけど、
本当にその通りで、敢えて一言でいうなら、「手越くんがいないだけの4人のNEWSのコンサート」だなって思った。
入場の演出にしろ、着替えとかでハケてる時の映像にしろ、「きっとここに手越くんがいたんだな」「手越くんがいたらこうだったんだな」っていうのがよく分かって、(オープニングの映像も4人の紹介だったしね…)
無理やり3人のものにせず、1年前にやる予定だったそのままを見せてもらったことが本当に嬉しかった。
と、同時に、きっとこの衣装、手越くんの分も用意されてるんだよね…とか、手越くんだったらこここういう風に歌うだろうなあ、とか、色々考えてしまって、悲しくなっちゃった。
本来ならお蔵入りになってたかもしれないものを、見せてもらっておいて本当にわがままなんだけどね笑
そんなこと色々考えて、涙止まらなくなったりしながら、
(大阪2日目2部のMCでシゲが「なんかめっちゃ泣いてる人いるもんね」って笑ってたけど、そのなんかめっちゃ泣いてる人わたしだし、わたし以外にもいっぱいいるんだなって安心した笑)
最後、クローバー歌ってくれた時に、去年アルバムがリリースされてから今までの1年のこと、ぶわああああって蘇ってきて、
コンサートもなくて、ライブDVDも見れなくて、全然NEWSに触れてないって思ってたけど、わたし、やっぱりまだこんなにもNEWSに支えられてたんだなあって思った。
病院で診断書出るまでは毎日の生活にいっぱいいっぱいだったし、診断書出てからはおふとんから起き上がれない日もあったりして、クローバーを心の支えにしてたことなんてすっかり忘れてたんだけど。
最後モニターに出てくるNEWSRadioの映像で、初っ端増田くんが「辛いことがあっても、あなたの居場所はここだよ、ここにいていいよって言ってあげたい。そういう場所にしたい」って真っ直ぐ前を見て言ってて、
ああ…わたしの大好きな増田くんだな…いつもいつも、人生でつらい時、支えてくれた増田くんだなって思った。
2020年は、コロナで世の中が大きく変わってしまったという事もあるし、ストレスで体調を崩したのも始めての経験だったから、アイドルの存在をあまり意識出来なかったけど、
「つらいけどNEWSが好きだからここに来る」「ここに来れるからまた頑張れる」って思って、NEWSに会いに行くファンの事、ちゃんと分かってくれてるから、アイドルって、NEWSって、こんなに優しくあったかく、かけがえのない存在なんだなって思った。
次々と先輩方の休止、退所、独立、解散が続き世代交代の波を感じて、NEWSにもいつかこんな日が来るんだろうかと悲しくなった時もあるんだけど、
大阪最後の公演でシゲが「これで4つの地図は出来上がったけど、その地図の行き先は最高の景色だと証明してみてます。これからもNEWSに着いてきてください」と言ってくれて、4人の時もずっと同じようなこと言ってくれていたけど、3人になっても改めて言ってくれたこと、この状況でも言ってくれたことがすごく嬉しくて。
デビューが決まった時に、「これで俺たちオッサンになるまでずっと一緒だね」と喜びあったコヤシゲと、
「ジャニーズに入って最初に所属したグループがNEWSだから大切にしたい」と言ってくれた増田くん。
そして、手越くんがこれで脱退すると言っていた、4人最後になるはずだったコンサートの最後でも「これからもこの仕事を続けていきたい、NEWSで」と言ってくれる増田くん。
その3人が作り上げていく景色を、まだまだわたしも見たいなと思ったし、やっぱりめちゃくちゃ元気もらった。
約2年、コンサートに行ってないと、「もしかしたらもうコンサートなんて生活にいらないかも」って思う瞬間もあったけど、全然そんなことないや。生の力ってすごいや。NEWSのみんなもそう思ってくれてるといいな。
とにかくまずはSTORYツアーの全公演が予定通り開催され、無事に終わること。
そしていつか、以前のように満員の会場で、みんなが集まってコンサートが出来る日が来ることを祈ってます。
NEWSの3人、これからも、よろしくね。
2019年9月15日
1年前。
めちゃくちゃ楽しかったEPCOTIAツアーが終わって、増田くん舞台の当落が先だったか、ネットにあの音声が出回ってどんどん拡散されていったのが先だったか、もう覚えてないけど。
あんな根拠のない音声だけで何も起きないでしょ、もう二度と同じ事しないようにまじで反省しろよ
ぐらいの気持ちでいたのもつかの間、小山くんの活動自粛、リリースの宣伝活動の自粛、予定してた番組の制作中止とか、もういちいち覚えてないけど毎日のように悲しい情報ばかり入ってきたあの日々は、たぶんずっと忘れないだろうなあと思う。
そういう時にこそ支えてあげるのがファンでしょう、とか綺麗事思う自分もどこかにはいたけど、それよりもわたしは増田担で、増田くんのことがだいすきで、だいすきな増田くんは何も悪いことしていないのに、その増田くんがだいすきなNEWSというグループだったり、アイドルという仕事をどうして取り上げていくの?わたしが何か行動を起こしてその場所を取り戻したとして、また同じ事が起きてその場所も仕事も全部なくなってしまう可能性は?それならもう誰も足を引っ張らないで済むように全てを終わりにした方がいいんじゃないの?と思ってしまう自分もいて。
どうして好きなアイドルのことでこんなにつらい思いをしなきゃいけないの?もうファンを辞めた方が普通に幸せに生きていけるんじゃないの?と思いながら、
それでもやっぱり、どんな状況であってもこちらに愛を伝えてくれる増田くんのことは見ていたくて。すごく複雑な思いで増田くんの主演舞台を見て、その週末に味スタに行ったことを思い出してた。
正直5月に件の一報が入ってから8月にピロティに行くまでほとんどNEWSのことを追えていなくて。こんな事で連続1位記録が途絶えて欲しくなかった、1位が途絶えなかったとしても今までのCD売上を下回ってほしくはなかったから、BLUEはいっぱい買ったけど買ったCDは全然開封出来てないしね…笑
いまだにBLUEのMV見たことない笑
あと実はあんなに盛り上がってたゼロも全然みてない…笑
あの日の味スタの映像を見て、1年前の事を思い出してた。
そんな状況でもあの日味スタに行ったのはわたしの意地というか、勝手なエゴだったと思う。
こんなしょーもないことで10年好きなものを辞められないっていうのと、増田くんは何も悪くないのにここで増田くんから離れたくないっていうのと。
でも本当に、あの日味スタに行ってよかった。
NEWSがanniversaryと題して、次々曲を歌ってくれるたび、その曲をはじめて聞いた時のこととか、当時の思い出とか、色々蘇ってきて。
ああ色んなつらいことあったけど、NEWSが関係ないことでも、NEWSのせいでも(笑)、たくさん色んなこと経験してきたけど、結局支えてくれてたのはNEWSだったなあって。
笑われるかもしれないけど、NEWSのコンサートに行きたいから、次のNEWSの新曲が聞きたいから、そんな理由で毎日がんばれてたり、がんばって来れたから今があったり、するんだよね。
と、そんなことを思い出してました。
後、本当にこれは映像化されても尚、見ていて涙が止まらなかったんだけど、増田くんが考えてくれていたメンバカラーの衣装の事。
4年越しに考えて15周年に向けて準備して、やっと実現した衣装の事。
あんなに素敵な事を考えてくれていたなんて思いもしなかったし、あれを見届けられて本当によかったと、今日この日を迎えられて本当によかったと、味スタで涙が止まらなかったのを思い出してた。2日とも同じ映像なのにね、2日目も同じ映像流れるの分かってるのに、それでも泣いちゃうし、映像化されても泣いちゃうし、もうどうしようもない笑
色んな事があったのに、増田くんはひたすら前を向いて、あんなにNEWSのことを愛しているなんて。増田くんのファンとして、同じものを愛さない訳にいかないじゃない。
あんなに素敵な企画を見せてもらって、じゃあこの先はどんな景色があるんだろう?増田くんは今、どんな景色を夢見てるんだろう?と思うとわくわくするじゃない。これからも見ていたいって思うじゃない。
それでやっぱり、こんなところでファン辞めてたまるか、と。
やっぱりNEWSのファンでいたいと思って、ホテルに戻ってパンフ読んで、また号泣して(笑)、次の日目腫れたまま大阪帰った事までが味スタの思い出です。笑
でもstrawberryのパンフまじよかったよね…いま読んでも号泣する自信あるもん…笑
実は今年、ちょうどツアーと並行して会社辞めて。7月から新しい職場で働いてるんだけど。
「中学校に行ってなかった」「高校が通信制だった」ってなかなかパンチのあるエピソードらしくて(本人全然そう思ってない笑)
めっちゃ言われるの。中学校行ってない間何してたの?から始まって、よくちゃんと真面目に働いてるね、まで。笑
学校に行けなかった、行きたくなくて行かなかった頃に、ちょうどNEWSのファンになったんだけど。あの頃は毎日がつらくて、10代の頃って学校が社会の全てだったから、正直冗談じゃなく、死にたいと思ったこともあった。
でも、そんな時にNEWSの新曲リリースが決まったり、増田くんのドラマ出演が決まったり、コンサートが決まったりすると、じゃあその日まではがんばろうって思うんだよね。笑
すごく単純だけど、そんなふうに毎日なんとかやり過ごしてたら、今度はもっともっとコンサートに行きたくなって、その為にはお小遣いじゃ足りなくて、アルバイトして、
で、アルバイトはただやり過ごすだけじゃ他の人と同じになっちゃう、シフト減らされちゃう、どんな時も「こいつは優先してシフトに入れよう」って思われたい、じゃあ仕事がんばろうかな
って、いうのが積み重なって、今日、いまのわたし、なんとか普通に学校に通って、大学卒業してるような立派な方達と一緒に働けてるし、
学校行ってないこといじられても笑って返せる、全然気にしないでいられる。
それってさ、NEWSのおかげだなって、改めて思った。わたしのつらい日々に、それでもがんばろうかなと思わせてくれたのは、他でもないNEWSだなって。
気持ち悪いと思われるかもしれないけど、本当にそう思うし、だから簡単にファン辞めたくないし辞められないし、NEWSがつらい時は今度はわたしが支えたいなっていつも思うんだよね。時々しんどくなって離れちゃうけどさ。笑
なんだか久しぶりにそういう感情も思い出させてくれた、味スタの映像でした。
で、実はまだ本編しか見てない状態でこれ打ってんのね!笑
今から特典の方をみます…みたら絶対泣くと思って…笑
まとまりないけど、NEWSちゃん16周年おめでとう。ファン歴11年を迎えて、やっとわたしも自分の過去を振り返られたような気がします。笑
17年目もまだまだ突っ走って行ってください。20代のフレッシュさも素敵だったけど、30代の大人の余裕と色気も本当に素敵だなと日々思ってます。これからもよろしく!