ありえない夢の続き

増田くんというアイドルがすきです

2人組のこと

STORYの映像も発売になり、これで本当に4部作が終わったのだなと思うと、急にNEWSの曲が聞けるようになりました。

というのも、以前のブログにも書いたけど、色々あって体調を崩してしまい会社を辞めてから、移動中や通勤中に音楽を聞く習慣が無くなってしまって、再就職して1年以上経った今もカバンの中にイヤホンすら入ってないような状態で毎日を過ごしてて。

 

NEWSの曲には1曲ずつ本当に色々思い出も思い入れもありすぎて、あの時の4人が大好きだったなって事とか、あの時すごくしんどかったけど増田くんの歌声にたくさん助けてもらったなとか、あのコンサート楽しかったなとか、思い出すのが辛い事も多くて、

その流れでなんとなく、3人になってからリリースされた曲も全然聞けていなくて。

 

よく分かんないけど、STORYで本当に4人のNEWSが終わって、同時に3人のNEWSの再出発だと感じたし、

(オーラスの配信も見たはずだけど)映像化して、自分の中で一区切りついたと感じて。

 

とりあえずリリースされた時にCD買ったきりになってたから、ビューティフルのカップリングにendless summerが入ってた事すらすっかり忘れてて(笑)

(しかもタイトル英語表記になってて、かっこよくなってるし笑)

思いがけず聞いたエンドレスサマーが、やっぱりめっちゃ良くて、いろんな思い出が蘇って、その時聞いてたのは外だったんだけど、家だったら泣いてたんじゃないかなと思った…。

 

10代の頃の記憶力と、その時の自分の増田くんに対する思いが、今よりも全然強くて。(今の自分も増田くんの事は大好きだし、増田くんなしの人生なんて考えられないけど、あの頃の私には世界の全てが増田くんを中心に回っていたから、やばいぐらい依存してた)

6人の時に収録したエンドレスサマーも、4人の時に改めて収録したエンドレスサマーも、3人になったendless summerも、一番最初に思い出すのは、あの日京セラドームで6人が1人ずつ順番に出てきて歌う演出なんだよね。

4人になって、ベストアルバムのファン投票1位になって、美しい恋でやった演出も素敵だったんだけど、やっぱりあのバラバラだった6人が歌うこの曲が、めっちゃ好きだったんだよね。

 

人数の変動とともに、6人でやっていた「Aメロ・Bメロ・サビを1人ずつ歌う」っていうパート分けが難しくなり、どんどん変わっていったんだけど、

どんな時もずっと、増田くんが変わらず歌う「小さな冒険 手書きのチケット 夢の欠片かき集めて あこがれという おもちゃの羽で 飛べる気がしてた」の優しい歌声と、

最後に全員で歌う「明日を夢見たキセキは今日もどこかで まだやれるよって君の背中押してくれるから 今の自分が思うような自分じゃなくても 扉はきっと きっと あの夢に繋がっているから」の力強い歌声に、歌詞の通り何度も何度も背中押されてきて。

私の人生なんて、ほとんどが「今の自分が思うような自分じゃない」ような状態だけど、この曲を聞くと、あの日京セラドームで見た、大好きだった6人のNEWSのこと、それこそ夢の中のように思えた、特別に輝いて見えたあの日の映像が、今でも蘇ってきて、「ああ、今日この瞬間も、あの日の続きなんだな。がんばろう」って、思えるんだよね。

 

そして背中を押されるたびに、「あの時NEWSが解散していたら、もうこの曲は聞けなかったかもしれないな。増田くん、NEWSの曲を守ってくれてありがとう」って思って、余計に泣けてきちゃうんだよね。

NEWSが4人になるか、解散するか、もう解散したほうがいいんじゃないという大人が多かったあの時に「NEWSの曲を守りたいから4人でNEWSをやりたい」と言ってくれた増田くんの事、今でも6人までのNEWSの曲を聞くと、どうしても思い出すのです。

 

8人よりも、6人よりも、4人で活動した期間が長くなり、メンバーも全員30代を迎え、またメンバーが減るという時、解散しようという選択はなく、ほぼ当たり前のように3人でやっていくという決断になったんだなというのは、3人を見ていて伝わるし、「NEWSの曲を守りたい」という増田くんの気持ちは、きっとあの時から変わっていないのだろうなとは伝わるんだけど、

一方で、どうしてももう聞く事が出来なくなってしまった、あえて増田くんの言葉を借りるならば、「守れなかった」曲がある事を思い出して、悲しくなってしまう事も、あるのです。

 

ミソスープに振り付けが付いていたけど、踊るのは違うと言って歌で勝負しようと決めた2人のこと。

はじめてのコンサートの初日、メインステージのスモークの中から出てきた22歳と23歳の2人のこと、1曲だけ踊ると言ってトラジハイジの曲を踊った2人のこと。

2回目のコンサート、ずっと2人じゃなくて、ソロのコーナーもあったけど、歌ってないほうは演奏に回って、やっぱりずっと2人でステージ上にいてくれたこと。

3回目のコンサート、この先どうなるか分からない中で、何も語らず2人が歌った、さくらガールのこと。

4回目のコンサート、はじめてのホール公演でマイクなしの演出に感動したこと。

そして4回目のコンサートのオーラス、2月から始まったツアーだけど、終わる頃には4月になっていて、まだ少し肌寒い中、笠寺の駅が混むのが嫌で慌ててガイシホールを後にしてしまったあの日の事を思い出して、

結局あれが最後になってしまうなら、駅が混むとか関係なく、もう少しゆっくり会場にいればよかったなとか、そんなしょーもない事を今さら悔やんでしまうのでした。

 

 

NEWSが4人になったことや、3人になったことのように、いつか受け入れられる日が来るのかな。

6人のエンドレスサマーの演出が大好きだったなと、あの頃のキラキラした思い出と一緒に思い出して楽しめるように、いつか2人の曲も聞くことが出来るようになるのかな。

 

2人の曲は、グループ活動の合間にリリースされていたから、もちろんグループの曲より数は少なくて、その分ほとんどの曲をコンサートで披露してくれていたから、1曲ずつに思い出があって。

コンサートで披露されていない曲は、それはそれでまた、それぞれにめちゃくちゃ思い出があって。(披露されていないDONUTは、ゴスペラーズさんと一緒じゃないと成立しないから、2人のコンサートでは出来ないという話とか)

 

そんな思い出も全部、いつか悲しまずに思い出せる日がくるのかな。

 

 

はじめてファンクラブに入って、自分で申し込んだチケットが、テゴマスのうたの大阪公演でした。

公演を見るのが1度じゃ足りなくて、お母さんに内緒で2日目もこっそり見に行ったのが、テゴマスのあいの大阪公演でした。

コンサートのオーラス公演に行きたくて、はじめて遠征をしたのが、テゴマスのまほうの名古屋公演でした。

ジャニーズのコンサートにしか行った事のない私が、はじめてホールと呼ばれる会場に行って音の凄さを体感したのが、テゴマスの青春の大阪公演でした。

 

私の青春には、全部全部2人がいるよ。

2人とともに大人になって、2人とともにジャニヲタとしての経験も重ねていった気がするよ。

いろんな事を言う人がいるけれど、どんなに私生活の素行が悪くても、その影響で活動に制限の出る場面があっても、それでもずっとグループで、ずっとユニットでやっていたのは、増田くんが「俺の相方は手越しかいない」と言った、あの言葉に集約されていたんだなと、事実上、解散してから思ったよ。

私は増田担だから、増田サイドの言葉とか思い出ばかり考えてしまうけど、きっと手越くんもそうだったよね。だから、テゴマスでフェスに出たいと事務所に抗議していたんだよね。

 

2人とも30代になったら「テゴマスの三十路」っていうタイトルのコンサートをしよう、おじいさんになったら「テゴマスのつえ」っていうコンサートをしようって言って笑っていたけど、そうなったら良いなって思ってたし、2人はずっと一緒にやっていくんだと思ってた。

いつか2人にカバーアルバムを出して欲しくて、その時何の曲をカバーして欲しいか考えるのが、私の趣味のひとつだったんだよ。

 

2人のそんな会話のことも、あの頃私が妄想していたカバーアルバムやセットリストのことも、いつかキラキラした思い出として、2人の曲とともに、笑って話せる日がくるといいな。